教育はむずかしい。
人を育てることは、どの世代でもとても苦労します。
それは、その対象者が千差万別で様々な人がいるからです。
国の違い、肉体的な違い、文化、思想、などなど
全く同じ人など存在しないからです。
まして、自分の思い通りに動くような人は、なかなかいません。
私たち大人は、集団を教育する場合、
『みんなで同じ事柄をやって』、『みんなで同じペースで行い』、
『みんなで同じやり方をし』、『みんな同じ考え方で』と
指導してきた歴史があり、教育してきました。
現在でもその教育方法は多く存在しています。
私は、子供を持ち、また、子供たちと多く触れ合う仕事をしている中で、
いつも考えさせられます。
教育とは、学校教育とは?
私は、
『子供が自分の力で、生きたいように生きる力を身に着ける場所』
だと、考えています。
ここでポイントなのは、
『生きたいように生きる力』です。
わがままを通し抜いて生きていくわけではありません。
誰しもが、わがままを言って衝突ばかりしているようでは、
お互いに『自分の生きたいように』という願いが失われてしまいます。
そこで大切なことは、
他者の『生きたいように』という欲求を
認めてあげるということです。
それは、『自由の相互承認』と呼ぶそうです。
学校に求めること、学校の本質は、
実に『自由の相互承認』のこころを育てる場所だと考えています。
自由の相互承認とは、『みんなで同じ教育』ではなく、
その人の生きたいようにを認めてあげることです。
もっと言えば、その個人の全てを認めて、
その個人(個性)にあった方法で教育していくことです。
そうすると、ひとり一人に個別のカリキュラムを作っていくという発想になりますが、
現実問題それは、不可能です。
では、どうすればいいか?
『バランス 』です。
個別と全体(総合)の両方を組み込むことが出来れば、
バランスよく、教育出来ていくと思います。
得意な分野もあれば、苦手な分野もあります。
人と上手く関われない人もいれば、体が不自由な人もいます。
様々な人がいる中で、相互承認の心を育んでいけば、
楽しい社会が出来るはずです。
自分のペースで無理なく学習をし、他人の自由を認めてあげられる『場所』は、
学校が一番です。学校は、そんな場所であって欲しいと思います。
今までにとらわれすぎずに、ひとり一人の子供のために何が出来るか?が大切で本質的なところだと思います。
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